2009年2月27日金曜日

カーディオ・テニス 生き残れるか?


サンディエゴのとき、いっとき、テニスに夢中でした。

で、ドイツ・デュセルでもテニスをしようとクラブに行って、リーグでプレイしたい、というと、まず年齢を聞かれました!

「えっ、何で年を聞くの?」

「だって、30歳の人と50歳の人が試合するのはフェアじゃないでしょ?」

「???」
いったい、ナニがフェアじゃないの?
SDのうちのチームには60を過ぎた方で2時間以上にわたるシングルスを、平気でこなしている強い方がいました。
もちろん若い子は、バシバシ強打を打ってパワーを見せてくれました。
プロでなければ、年齢に関係なく楽しむ。
これがアメリカのフェア,だと思います。

で、すっかり意気消沈し、ドイツ時代からテニスは全くしていませんでした。

どころが・・・
ミシガン、冬は全く戸外活動はできません。
食べるは、動かないは、。。。で結果は・・・

おまけに 骨密度。
SDを出るときの検診では骨密度100%。マラソンの選手?と看護婦さんに聞かれて、すご~くいい気分だったのです。
どころが、12月、6年ぶりにこれを測定したところ、60%をやっと保つか、というほど劣化していました。これはショック!!!

先生によると、女性、特にアジア系女性は、身体が軽い分骨も細く、骨からカルシウムが出て行きやすい。おまけに太陽が当たらないところに住んでいると、骨の生成に欠かせないビタミンDが不足しやすい。それで、きっと急激に骨密度、落ちたのね。とのこと。
この先生は、中国系の女性の先生なので説得力があります。

うえぇ~~ん。どうしよう・・・

「ゆ~こ、またテニスすればいいのに。足の裏をトントンと刺激することで、骨への負担をかけて骨を丈夫にするのがいいよ」といわれました。

そこで、早速 テニスクラブに直行。
メンバーになりました。

そのとき、コーチが、
カーディオ・テニスにおいで、と誘ってくれたのです。

カーディオ・テニスは最近普及してきた、エアロビクスのテニス版です。





最初いった日は、男性3人、女性は私を含めて4人の計7人。
女性2人と男性1人は30代前半。
残りの3人は、四捨五入すると同じカテゴリーになる仲間。

ワークアウトその1、

一つのコートでボールを打ったら、隣のコートまで走って行き、また、戻ってきて次々と出される球を打つ。これが10分。

ワークアウト2、

ボレー、オーバーヘッド、ボレー、オーバーヘッド、これを10回で1セット。

ワークアウト3、
コートの端から端まで、出されるボールを打ちに走る。これを30球で1セット。

ワークアウト4
この辺から、何をしているのか記憶なし。
ひたすら走り、ボールを打つ。

まだ20分もあるよぉ~・・・
汗だく、足はふらふら、心臓パクパク、息はゼェゼェ。。。

60分、何とか持ちこたえました。

一年分の汗をかいたと思う。

どう?と聞かれ、「いやぁ、久しぶりにいいワークアウト。気持ちいいよ」といったのは、本当だったのです。強がりもあったけど、確かに気持ちがよかったのです。



コーチは自分で心拍数を計ってね。



220-年齢 = 心拍数の最大値 

が目安よ。と教えてくれました。


このグラフのように、HR(心拍数)160~180の間にあるのが 心臓を鍛える効果があるのだそうです。

家に帰ったとたん、もう急に疲れが出てきてベッドに直行。

目が覚めたら、もうあたりは真っ暗。
なんと5時間もお昼寝をしてしまった!
夕飯は簡単お鍋。

翌日は筋肉痛で動けず。この日も簡単パスタ。

心臓は鍛えられたけど、気力は上がらず、仕事ははかどらず、食事は簡単料理に。

今週で4週間目です。よく頑張っているけど、毎回、この夜はお鍋かパスタ。
このまま続けていいのだろうか。。。

2009年2月23日月曜日

草の根の友情

1月末にサンディエゴのテニス仲間のキャロルからメールが届きました。

「チャック(ご主人)がアフガニスタンからメールを送ってきました。
あちらの孤児院では、冬と言うのに子供たちは靴下もなく、寒い風の中でかぶる帽子もなく、冬のセーターも足りません。



教育がこの国の再建のキーだとみんなは言っています。

しかし、今現実には、この冬を過ごす子供たちの衣料が足りないのです。
みんなのクローゼットのなかにねむっている子供の洋服、靴下など、寄付してくれませんか。
電話をくれたら、私がとりに行って、箱に詰めてチャックに送るから」

というものでした。
取りに来るって???

チャックとキャロルは、昔、政府の仕事でパキスタン、バハマなどに住んでいたことがあります。
チャックは昨年60歳になったとき、仕事をやめ、アフガニスタンに政府関係のトレーニングの仕事を希望して行くことになりました。

「えっ??そんなの、あなたオーケーっていったの?」とこの前あったときにキャロルに聞いてみました。

「だって、彼はこれまで家族のためにいろいろ大変な仕事をしてきたのだけど、自分でこれだけは自分のため、アメリカのためにしたい、といわれちゃ、反対はできなかった」
とキャロルは明るく話してくれました。

ふ~ん、そうかなぁ・・・

チャックは、毎日危険と隣りあわせでアフガニスタンで仕事しているのだろうなぁ。。。
キャロルは毎日それを心配しながら、こちらで暮らしているのは、つらいだろうなぁ。。。

キャロルがチャックのために何かしてあげたい、と言う思いがメールからひしひし伝わってきました。

「取りに来るのは大変だから(!!)、お金を送るからそれで冬用のもの何かを買って、送ってあげて」とキャロルにチェックを同封したカードを送りました。

「わぁ・・間違えた!!
ゆ~こはミシガンにいるのだから出すつもりはなかったんだけど、
友達リストに入っていたので、間違えておくっちゃったの。ごめん。でも、ありがたくお金はいただくね。WalMartでセールをしている帽子を幾つか買うのに使ったよ。友達が、私のために協力してくれる、と言う気持ちが嬉しい」とすぐThank you card が送られてきました。



そして今日、箱が無事アフガニスタンに届き、みんなの寄付したものをアフガニスタンの子供たちが喜んで着ている写真を送ってきました。

国からの援助ではなく、ふつ~~の私たちのものがアフガニスタンの親をなくした子供たちの笑顔に役に立ったのかと思うと、チャックがアフガニスタンへ志願していった意味、そしてキャロルが心配や不安にも負けずにアメリカで頑張っている意味がある、と思いました。

2009年2月18日水曜日

懐かしのスウェーデン

「ゆ~こさん、3年分のブログが消えた、っていうけど、スウェーデンのは残っているよ」と友達のNさんから電話がありました。

「えっ、そうなの?!!」

「”おきにいり”に入れてあるのを見たらまだ残っている」

で、そのURLを送ってもらいました。
右のマイ ブログ リスト の Yukoinswedenです。


私は諦めが早いので、もうあきらめていたのですが、友達はありがたい!

うへぇ~~、スウェーデンへ行った直後、始めた最初のブログ、1年分がありました。
いやはや、ちょ~懐かしい。(驚いたときには、本来の自分がでるようで、”ちょ~”なんという古い言葉が出てしまう)


久々に見て、
4年前に見て感動したと同じようなものにここでも感動していることに驚き。われながら進歩がないですね。進歩がないと言うより、感動したことを忘れているのでしょうか。トホホ・・・



次に、あの、一人も日本人のいない、知り合いもまったくいない街で心細く思いながら、あれを書いていたときの自分を思って、ちょとウルウル・・・

アメリカの友達から、美味しいジャム、クッキー、パウンドケーキを送ってきて貰っても、おすそ分けをして一緒に楽しむ人がいない、というのは寂しいものでした。
結局、ぜ~んぶ自分で消化した、と言うつけが今、しっかり私に残っているのを再確認。

スウェーデン人は、年金が個々人のものなので、主人の働きで奥さんの年金がカバーされることはないため、国民全員が65歳まで働いています。昼間、プラプラしている若い(というか60歳以下)人は皆無で、昼間はまったく一人でした。夏になって、初めてゴルフの仲間ができました。(しかも、レディスゴルフは夕方5時からだった)
か・・

それにしても、スウェーデン、ミシガンと冬の寒い地域担当、と言うこの4年間は実にいい経験です。
でも、次に南極転勤、と言われたら、「北国担当願い下げ嘆願書」を発行しようと心の中で決心しています(南極へ転勤する人っているのでしょうか???)

2009年2月16日月曜日

大統領就任式の祈り






オバマ氏の大統領就任演説は話題になりましたが、もうひとつ、就任式の祈りも、話題となりました。私も興味深く聞いたり読んだりしてみたのですが、今ひとつ、わかりませんでした。


リタイアした牧師夫人ジェーンからのお誘いで、テニスをした後のランチの席で、チャンス!とばかり、あのときのお祈りについて聞いてみました。

あのようなときのお祈りは、神学的かつ歴史的な含みが大きく、ただそれを読んだだけではわかりにくいからです。




開会のお祈り(Invocation)はウォーレン牧師。サドルバック教会の牧師先生であり、ベストセラー「Purpose of Driven Life」の著者で、貧困や病気などと積極的に取り組んでいる行動派牧師です。


We celebrate a hinge-point of history with the inauguration of our first African American president of the United States.

We are so grateful to live in this land, a land of unequaled possibility, where the son of an African immigrant can rise to the highest level of our leadership. ………….


我々はアメリカ合衆国発のアフリカ系大統領誕生、という歴史の要にいます。

アフリカからの移民の息子がアメリカ最高の地位につくことができる、比類なき可能性を持つこの国に住んでいることを感謝します。・・・・・・


アフリカからの移民の息子、という表現。いいのかなぁ???

ジェーンは「事実だし、そのことに誇りを持っているのだから問題ない」とのこと。オバマ氏のお父さんはケニヤからの留学生で、アメリカ人と結婚したけど、結局離婚しケニヤに帰り、なくなったのだから、移民とはいえないような気がする。

オバマ氏が移民の息子なら、うちの子供たちも、日本からの移民の息子、娘なのね。

移民、と言う日本語がマイナスのイメージがあるから、なのでしょうか。


でもそのあとの、


Help us, O God, to remember that we are Americans, united not by race, or religion, or blood, but to our commitment to freedom and justice for all.


主よ、我々アメリカ人が、人種や宗教ではなくすべての人のための自由と正義のために一つとなっていることを常に思い出させてください。


これに対し、

祝祷(Benediction)はキング牧師とともに市民権運動に深くかかわってきたDr.Lowery牧師が捧げました。



この牧師はCoretta キング牧師夫人の葬儀の際、そのメッセージの中で爆弾発現をして驚かせた人です。

爆弾発言・・・・ブッシュそ大統領も出席していた席上で、


We know now there were no weapons of mss destruction over there. But Coretta knew and we know that there are weapons of misdirection right down here. Millions without health insurance. Poverty arounds. For war billions more but no more for the poor !


われわれはイラクに大量破壊兵器がなかったことを知っている。間違ったものに向けられる兵器がこの場にあることを、Corettaも知っていたし私たちも知っている。健康保険のない何百万と言う人々、あちこちにある貧困。戦争には何億とるもつぎ込むけど、貧しい人々には何もしてくれない。


この発言を現職大統領、ブッシュ氏の前で言い放ったのは、わぁぉ~~~!

ガッツがある、骨がある。


この日もメッセージの最後のところに多くのコメントが寄せられました。


…… in the joy of a new beginning, we ask you to help us work for that day when black will not be asked to get back, when brown can stick around… (Laughter)… when yellow will be mellow… (laughter)…

when the red man can get ahead , man…(laughter)… and when white will embrace what right.


この新しい門出の日に、


黒人はバスの後ろの席に行けと言われることのないように、

ヒスパニック系は今のままでいられるように、

アジア系は穏やかで平和的でありますように、

インディアンは前進できるように、

そして

白人は正しいことを喜んで受け入れることができるように。。。。。


保守派からは「分断主義だ。民族主義的だ」と言う批判がされ、

メディアからは「ステレオタイプすぎる」と言われましたが、

一般の聴衆からはユーモアと受け止められた、と新聞に出ていました。


私の周りで聞いた限りでは、

「あの場にはふさわしくない。Unity していくのに逆行している」

「彼の経歴からはわかるけど、カラーで総称するのはよくない。」

「アメリカで黒人は全人口の13%。オバマ氏は黒人の大統領ではなく、アメリ  カみんなの大統領だよ」など、批判が大方でした。

ただ一人、「彼は、人生の中でものすごく大きな変化を身をもって体験して生きてきた。彼の言葉には重みがある」と擁護している人はいました。

「ゆ~こも、あなたはYellowだから・・と言われて嬉しい?」と逆に聞かれてしまいました。

う~ん、どうだろう。




新しい日の出の前には

私には窺い知ることが難しい、

深くて長い歴史があるのです。








だからこそ、人間の力だけでは難しい「宗教、民族を超えて、一つになれますように」という大きなチャレンジを、神に祈るのですね。

田舎の町のオペラハウス

私たちの町Coldwater市は、デトロイトからシカゴへの旧街道のちょうど真ん中にあります。

18世紀の中ごろは、デトロイト・シカゴへ行き交う人々で、この旧街道12号線はかなり賑やかでした。多くの歌手や芝居をする人々がここを通って移動していました。
当時はこのColdwater で一泊していくことが多かったようです。



そこで、この町の
B. Tibbits 氏が、
「せっかくだから、この町でも公演してもらおう」と
全財産を投げだして、1882年、Tibbits Opera House  を建てあげました。













当時の記録によると、
建物は小さいながら内装はかなり豪華で、
多くの人々がロングドレスにフロッグコート
というスタイルで集っていた写真が残っています。





その後、経営難になり、映画館として使われた後、1954年についに廃止になってしまいました。荒れ果てて中はコウモリやネズミの巣となっていました。




1960年代の後半から町の有志が立ち上がり、
この歴史的市民の財産を守ろう、という動きが出てきました。

今では、地元の子供たちのためのプログラムや、
ちょっとしたコンサート、コミカルなお芝居、
などのために今は使われています。



今週金曜日、長年の夢であった、オペラハウス最初の様式であるドームを戻す工事が行われました。












あちこちの屋根で、パーキング場で、歴史的な建物の
再建を町の見守りました。





















このドームをぴったり乗せる作業は大変で、時間がかかりました。
寒かったのですが、人はしっかり見守っています。

町の人々は、この建物には
特別な愛着があるのでしょう。













彼女はMary Smithさん。
今回のドーム建設に一番
献金をした93歳の元気のよい方です。
飛び跳ねて喜んでいらっしゃいました。









Remove not the ancient landmarks which your Fathers have set….” Proverbs 22 28

  あなたの先祖が立てた古い地境を移してはならない。箴言 22章28

と、Tibbits Opera Houseのホームページに出ています。

地域の人は、次の世代へとこのオペラハウスを残そうとしているのですね。

2009年2月12日木曜日

雪融けのミシガン!




日曜日が良い天気、と思ったら、月曜日も、火曜日もぐんぐん温度が上がって、
ミシガン南部は、60度F (15℃) というぽかぽか陽気になりました。




                      2009年 1月31日 

                       2009年 2月8日 
先週まで、4月までは融けませんで!という感じだった根雪が、あれよあれよ、という間に融けました。
庭も、下の芝生がすっかり出てきました。





先月末には、もうだめか・・・と心配したメキシカンチワワのナナは、元気に庭を散歩しています。
どんな薬より、私の愛情より(!!)、お日さまの力のほうが強いのですね。

ご心配をおかけしましたが、とりあえず、よく食べてよく歩いて、よく寝る、お気軽な生活を送っていますので、ご安心ください。

2009年2月9日月曜日

ミシガン グリーンディール


わがミシガンの州知事 Jeniffer Granholm(グランホルム)

日本企業との食事会で、たまたま主人が話す機会があり、(もちろん、他にたくさんいらした中の一人ですが)

「My name is ........。 Please call me Q」

というと、すかさず


「Please call me G」 と ウィットに富んだ挨拶をした G ranholm 州知事。

美人であり、知的であり、しかもユーモアに富んだ明るくエネルギッシュな方です。

先日の州議会で


「五大湖周辺の湿地帯は、現在、環境法で規制され活用することは禁止されているが、
この法律を改正し、ここを風力発電の拠点としたい。そのために、どういうことが可能か、政府がここを設置場所と選ぶにたる情報を収集することを、委員会に委託した」と述べていました。








2020年までには、Fossile(石油、石炭)エネルギーへの依存は45%以下に落とすと明言もしています。

オバマ政権のエネルギー長官に任命されるか、と期待されたのですが、それはなし。

でも、彼女は、ミシガンの生きる道は、自動車産業ではなく、新しいエネルギー、バッテリーの産業である」と考えているようです。ミシガン大学の近くに(構内と言う話もあります)大きなバッテリー研究所を建設する、と発表しています。



まだ、国からどうか、と聞かれているわけでもないのに、積極的にこちらから売り込もう、そのために準備しよう、というのはアメリカ的先取の精神です。


BIG3の自動車産業は、つぶれると言われていますが、一方で、

「シリコンバレー、NASAなどの世界一の優秀、最優秀の頭脳をつぎ込めば、BIG3のどこかが、次世代の電気自動車、あるいはそれを越える画期的な自動車を開発する可能性もある」、と、アメリカに長く、アメリカの力をよく知っている、ある日本人は、アメリカ自動車産業の行方は注目、と話しています。

これからの行方、どうなるのでしょうか。

2009年2月8日日曜日

アメリカ版季節占い


Groundhog(グランド・ホッグ)と言うのを聞いたことがあるでしょうか?

ハリネズミの仲間の小動物です。

これが2月2日の主人公。



2月2日はGroundhog Dayといわれています。



この日に、彼(彼女かもしれないけど)が穴から出てきて、自分の影を見ることができたら、冬はまだ6週間つづく、と言う言い伝えです。




あちこちで、ホッグちゃんに今年の春はどう?と聞く、公式式典がもたれるそうです。

特にフィラデルフィアのPhil君は有名で、もう120年もこの式典は続いています。



冬眠していたGroundhogが穴から出てきて、まぶしいのに驚いて穴に戻ってしまい、また眠ってしまう・・だから、まだまだ冬が続く、ということらしい。


今年の2月2日、ミシガンは天気でしたが、昼頃から雪が降りました。
それでも、Groundhogは自分の影を見たらしいということで、まだ6週間は寒いわねぇ・・とあちこちで地元の人の声を聞きました。

そうか・・今年は冬が長くさむかったけど、まだ続くの・・・・と気落ちしたのですが。

それから、どういうわけか、ぐぐぐっ~~と暖かくなりました。
今日は55度、つまり12℃もありました。

朝から屋根の雪は融け、ポタポタ雨のように軒脇に落ちています。

庭の雪も、あっという間に融けました。何だか、春のよう。

Groundhogは出てこようか、迷っているのでしょうか?

2009年2月7日土曜日

カーディナルの赤は?


朝、キッチンの窓から見える木に、赤くステキな鳥が止まっています。

冬の風物詩、カーディナルです。

昨年初めてて見たときには、あまりの美しさに、毎朝カーディナルちゃんに挨拶するまでは、出かけない、などとすっかり惚れこんでいました。

少し熱は冷めたものの、それでも、この赤い鳥がたくさん枝に止まっているのを見ると、自然の美しさにうっとりします。
















赤いのはオスで、メスは地味な色。

でも、鳴くのはメスのほうが上手らしい。
メスは、巣から、
「ほらほら、食事の時間よ!何か持ってきてちょ~だい!」と声高らかに鳴くのだそうです。

「了解!今もって帰る」とオスも鳴くのですが、

あまり複雑なことは言えないらしい。

なんだか哺乳類にも、同じような傾向があるような・・・




カップルは自分たちのさえずりパターンを持っている。
おまけに、その地方で、独特の方言もあるらしい。方言というのは正しくないかもしれません、訛り、ですね、きっと。

カーディナルは今では北米の冬の風物詩ですが、19世紀初めはオハイオ川以北ではめったに見られることがなかった、と記録に残っています。
その赤の美しさから、捕獲され、東海岸やヨーロッパに輸出されていたらしい。

それが、19世紀の半ば頃から、種が北上を始めます。1895年には五大湖の近くで見られ。1900年にはカナダ・オンタリオでも見られた、という記録が残っています。

カーディナルが寒さに強くなったのか、アメリカの気候が暖かくなったのか、アメリカの人々がこの100年に五大湖、オンタリオ付近へ多くすむようになり、餌に困らなくなったからか・・・

カーディナル歴史家がいたら、是非、お聞きしたいと思います。

2009年2月5日木曜日

ブログのお引越し



AOLのブログサービスが打ち切りになるので、・・・という知らせをもらい、AOLが指定したところへ移転手続きを取りました。
新しいところになれるのは大変だなぁ~~くらいにしか思っていなかったのですが、移転してみてびっくり!

スウェーデンから書き始めて3年。私のこれまでのダイアリーがすべて行方不明、というか消滅というか・・・・

「オーナーが変わったので、マンションの規定が色々変わります」、といわれてマゴマゴしていたら、家の中の家財道具一式がなくなってしまった、というかんじの私。

気持ちを取り直し、ここGoogleのブログに移転しました。
ご迷惑をおかけしますが、ここへお立ち寄りください。

2月4日、今朝はまた氷点下の寒いミシガンです。